父のお誕生日会で知る、本物のブラック企業と許す心。

父のお誕生日会で知る、本物のブラック企業と許す心。

こんばんは、父が嫌いだったKeiCampbellです。

そんな父が先月誕生日を迎え66歳に。

これまで誕生日会なんて開催したこと無かったが、ここ数年は母親が幹事で一人一人誕生日が近づ
いたらお祝いする流れになった。

そこで知る、私の心の狭さ。

社会不適合な父

父のお誕生日会当日は、各自バラバラに集合した。

集合場所は家の最寄り駅。

1番乗りは父で、2番目が母。

ところが母が集合場所に着いたとき父はいない。

無断0次会開催の罪

どこにいるか母が電話で確認すると、

父「腹減ったから蕎麦屋でうどん食ってるよ!」

と一人で0次会を開催している模様。

これから飯を食うというのに、うどんを食う父。

 

私が駅に着いたときは、母が改札あたりで父を激怒しているところでした。

しかし、父は何が悪いことなのか理解していないご様子。

父「腹が減ったからうどんを食った。何が悪いのか?」

確かに、うどんを食ったうえで、誕生日会でも食べれるのなら何も問題ない。

私は妙に納得してしまった。

 

少し考えてみると、飲み会の当日私もよく一人で0次会を開催していることがある。

自己中な部分が遺伝してしまった。

大学中退の罪

父は普通に生きるのが苦手だ。

それは父の責任ではなく、父の両親のせい。(ここではその話は省略)

 

父は何とか定時制の高校を卒業し、その後、私の母と出会った。

2人は東京で生活していたが、母だけが働き、父はその日暮らしをしていた。

母は、父に仕事をしてもらおうと大学へ行かせた。

父は26歳で建築学部の大学生になった。

学費は母持ち。出世払いということに。

 

それから1年後、父は学費をスピーカー代に充てた。

パイオニアの50万円もする大型のスピーカー。

質量も一つで50kg。

母の父、つまり祖父もオーディオ好きで、

祖父「お前の彼氏のスピーカーには負けたぜ!」

と言うくらい、高級なスピーカーだった。

 

結果、父は学費を払えず大学を中退し、高卒でも働けるブラック企業へと就職した。

わが家が貧困になるのが確定した1980年。

もし大学を卒業していれば、バブルの波に乗れていたはず。

母はなぜこんな父に我慢できたのか、不思議で仕方がないと思った。

祖父も頭がおかしい。

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父が務めた本物のブラック企業

ここ10年くらいは、ブラック企業に関するニュースが後を絶たない。

過労死、パワハラで自殺、残業代不払いなどなど、今まで隠されてきたブラックぶりが明らかになっていきます。

 

私の会社も自殺、サビ残、パワハラは存在している。

ただ、大手企業なので外から見ると美しいことばかりが目立つ。

 

一方、父の務めた会社はどこからどう見ても本物の黒だった。

「有給を取りたまえ」の意味

ある日、父は社長に有給を取るように言われた。

私がまだ小学生のころだ。

社長「少し休みなさい。有給を消化したまえ。」

父は3日ほど有給を消化し、気持ち新たに出勤した。

すると、父の席は無くなっていた。

これが1回目のリストラ宣告。

 

3日もあれば一人分の席をまっさらにすることは簡単。

父は母に「諦めるな」と言われ、社長に抗議。

リストラは撤回され、無職は免れた。

私の会社はそこまでひどくないので、安心して有給を取れる。

「君は働きすぎだ」の意味

私が中学生のころ、父親は社長に働きすぎを注意された。

月~金まで、朝9時から夕方の5時まで働いていた父に、社長が働き方改革を申し出たのだ。

社長「君は週に5日も働いているから、3日だけにしなさい。」

なんと週休4日。

 

父は働き方改革を受け入れ、年収を約60%減らされた。

社長の計算式は、

新年収=旧年収×3日÷7日

だ。

1週間のうち働くのは3日だから、年収は60%減るのは当たり前。と言っている。

嫌ならリストラ。2回目のリストラ宣告に等しい。

 

今回も母の助言で、計算式がおかしいと抗議したところ、

新年収=旧年収×3日÷5日

の式で再計算され、年収40%減で無職を免れた。

父&母「「ボーナスがもらえる会社に行け」」

私の両親は、まだ私が幼稚園児のころは私を芸術家にしようとしていた。

ピアノを習わせ、72色の色鉛筆を買い与え絵を描かせた。

父親が描いた黒い多角形の枠内に、指定された色をムラなく塗る練習。

母親は「英語は将来必要になる!」と言い、枠内に英語で色を書いた。「red」

はみ出して塗ると殴られた。まだ3歳のころ。笑

これが理由で色を塗るのは嫌いになり、殴る側、つまり線画を描きたいと強く思うようになった。笑

英語は嫌いにならなくてよかった。

 

しばらくして、父の会社がブラック度を増したことで両親は方針転換し、私に学歴を要求するようになった。

父&母「「理系の大学院まで行き、ボーナスがもらえる会社に入れ」」

私が高校生の時だった。

幸運にも理系教科を好きになれた私は、割と就活で有利な学歴をゲットできた。

 

一方、私が就活をしているときに、父の会社は倒産した。

社長一家が会社の金で海外旅行しまくったのが原因らしい。

 

しかし、父は約30年間最後までこの1社で働き、ボーナスと退職金を一度も貰わずに60歳になった。

驚くことにこの30年間、父はほとんど文句を言わなかった。

会社がつぶれたときは「会社がなくなっちゃった。」と言っただけ。

辞めたければ辞めれば良かったのにと思ったが、本物のブラック企業だし、何か理由があったのかも。

 

それなのに私は、残業代は申告した時間分だけしっかり払われるし、ボーナスも年5か月分は貰える。

有給は年20日も使えて、自分の席も勝手に無くならない。

上司はほとんど怒らないし、食堂もある。

最初に配属された部署の仕事はつまらなかったけど、死にはしない。

 

そんな会社に勤めているにも関わらず、私は文句を吐き出す。

父のことを考えると、小さなことで文句を言い過ぎていることに気が付いた。

全部、自分のやる気、自主性が足りないだけでした。

 

以前、私が残業代で荒稼ぎをしていたとき、低収入だった父をバカにしたことがあった。

その時、母は「許してやれ」とだけ言ったのを思い出した。

自分の力ではなく会社の力で稼いだだけの残業代で、アホみたいに調子に乗ったバカ息子でごめんなさい。

30年前

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退屈しない人生のために

食事会の直前にうどんを食うこと。

父の人生を振り返ると、それくらい自由にさせてあげようと思った。

しかし、母は出世払いにしていた父の学費のことを未だに根に持っている。

その支払いを私と弟に請求してくる母。

ブラックすぎる。

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