こんばんは、慧です。
会社の最終出社日から約1カ月が経ちました。
小学校でのボランティアが始まり、気持ちは完全に教師モードです。
このまま有給休暇を消化し、あと2週間すれば完全な無職となります。
自由と引き換えに色々な不安を抱えながら生きていくフェーズに入るのですが、一番の不安は意外にもお金のことではない気がします。
会社の同期からの期待
この約1カ月何をしていたかというと、のんびり小学生と戯れていました。
つい最近まで、おっさんの多い職場で製品の品質保証の議論をしたり、夜は高校生に授業していたのに。
今では掛け算九九をリズミカルに唱えたり、校庭で15分耐久鬼ごっこをしたり、子ども中心の世界に飲み込まれつつあります。
でも元々こういう生活を望んでいたのです。
自分の技術者としての人生よりも、子どもの未来のほうが希望に満ちていること、そして教育を通して誰かの人生に足跡を残せる仕事ができること、これらが教職を目指している大きな理由。
自己中心的に世界が回るよりも、自分の子どもを含め、未来を担う子どもが中心にいたほうが気分が良いのです。
ところで、会社の最終出社日に数少ない仲の良い同期(二児の主婦)から、期待の言葉をもらったことを思い出しました。
同期「教職に就くまでの間、そして教師になってからの話を聞けるのを、楽しみにしてるぞよ。」
そしてこの時私自身も、これからの自分が何をしていくのかを楽しみにしていました。
この同期は入社1年目から部署が近く、副業に熱中しすぎて他の同期達から孤立していた私を気にかけ話しかけてくれた人で、以来公私問わず相談を受けたり、私の一人旅の話を聞いてくれたりする仲になった。
その間に結婚、出産、育児と人生のステージを駆け足で登っていった同期は、ほぼ真逆の「自分の世界」を楽しんできた私にはある種の「面白いお話」を期待している空気を勝手に感じています。
それは決して学校で起こったアクシデントのような話などではなくて、私が中心となって進んでいる物語のようなお話のこと。
私が何かを思いつき、行動して、何かが起きて、今こうなっている、というエピソードです。
半分自惚れだと自負していますが、これまで同期と共有してきたものはやはり「私が主人公」なのでした。
しかしながら今私が進んでいる道は、子どもを中心に回る世界に向かっていて、果たして同期が期待するお話が生まれるのだろうか。
これから私がやるべき「教職の単位を取って、教員採用試験を受けて、教員になって働く。」というお話は、もはや履歴書のようなもので面白くもなんともなく、起承転結の中の「転」が起こる仕掛けが全く無いとも言えます。
そんな不安を抱きながらこの1カ月をのほほんと過ごしてしまったのは、自分を人生の中心から遠ざけることへの危機感が足りていなかったからかもしれない。
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良い感じの映画紹介文
今年10月から「キュリー夫人 天才科学者と愛と情熱」という映画が上映されます。
TOHOのような大きい映画館ではなく、ミニシネマでの上映です。
キュリー夫人は「放射性物質」の研究で有名な科学者であることはよく知られていると思います。
私も大学院時代は宇宙由来の放射線を題材にしていたので、非常に馴染みのある分野。
そんなキュリー夫人の半生を描いた映画ということで、ここ最近はトップガンに次ぎ興味をそそります。
そこで予習のためにどこかの雑誌で特集されていないかを探したところ、「週刊文春 CINEMA!」の中でとあるエッセイストの書いた紹介文を発見しました。
これが中々ツボにハマり、文章力をUPさせたい私にとって良いお手本になりました。
何が良いのかと言うと、私の好みではあるのですが、最初は無関係と思われる話題から入り、中盤から本題(映画の内容)に接続していくという構成だということ。
もしかするとエッセイを書く上での常套手段なのかもしれないけど、お手本となる文章、エッセイストを新たに見つけることができて嬉しかったのです。
ちなみに記事を書いている人は「池澤 春菜」さんという方で、見覚えのある苗字です。
そう、つい最近このブログでも紹介した「池澤 夏樹」さんの娘です。
名前に四季が入っているし、もしかしたらと思い調べたら予想的中でした。
文章を書く人の子も文章を書くようになる一例ですね。
退屈しない人生を共に
起承転結の「転」はやっぱり自分から積極的に動かないと得られないものですよね。いわゆる未知との遭遇のようなものなの。
フィルムカメラ修理は、いじったことのないカメラを手に入れるだけで洞窟を探検しているような感覚になれるから、比較的楽に「転」を摂取できます。(修理自体は楽ではない)
でもやっぱり人が運んでくる「転」は格別で、塾を始めたのも人との出会いのおかげ。
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