こんばんは、慧です。
教職という就きたかった仕事に関わり始めてから、趣味の存在意義を考えるようになりました。
以前は趣味は息抜き(仕事からの逃げ場)として捉えていたけれど、これからは趣味を使って交友関係を広げたい。
特に職場での交友関係を強化して、気の合う人とは長く、そして適度に深く関わっていきたい。
今の仕事を健康的に継続できるように。

孤独な趣味
自分の趣味と言えば、最近はフィルムカメラの修理と撮影。
カメラの分解、組立をするとき、色んな工具を使ったり、細かいところもクリーニングしたりと、指先を使った作業を存分に楽しむことができる。
撮影時には修理したカメラが復活する喜びを感じたり、色んなメーカーが出しているフィルムの違いを見比べたりして、アナログな文化に浸って良い気分になる。
とても充実したフィルムライフを送っているわけだけど、残念ながら私の交友関係に一切のシナジーを生みだす気配がない。
理由はいくつかある。
一つは、フィルムカメラという趣味カテゴリーが自分の思っている以上に過疎っていること。
旧Twitterのタイムラインには、フィルムカメラに関する情報ばかりが流れ込んでくるけど、それは私がフィルムの情報しか見ていないからにすぎない。
人は見たいものしか見ないとも言いますし。
SNSで色んな趣向の人とつながることができるけど、結局自分がカバーする範囲内でコミュニケーションは終始してしまう。(コミュニケーションすら全然していないけど)
さらに現実世界ではフィルムを使っている知り合いなんて、カメラ屋さんにしかいらっしゃらない。
そう、フィルムカメラにハマっている人は超少数派だし、これから始めようとしている人もなかなかいない。
二つ目は、自分の交友関係が非常に狭く、特殊だから。
小学校で働いている私にとって、よく話す人間は子ども。
カメラと言えば「スマホにくっついている小さなレンズ」のことだと思っている人たち。
先生たちともよく話すけど、趣味について話すよりも子どもや教育の話のほうが何倍も盛り上がるので、お互いの趣味トークに花が咲くことはない。
もちろん小学生にフィルムカメラの話なんかする機会がない。
そんなわけで、私が何十台とフィルムカメラを修理して、撮影して、存分に喜んでいたとしても、その思いはオンラインだろうとオフラインだろうと交友関係に拡散することなく、ブログ記事として格納されて終わってしまう。
私には理想として思い描いている将来の交友関係の状態があるのだが、残念ながらフィルムカメラという趣味はそれを実現するためのシナジー効果が全くないのでした。
ところで会社員時代では塾運営を趣味にしていたけれど、会社の交友関係とは完全に独立していてやはりシナジーは皆無だった。
実に孤独である。
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仕事と趣味の共通部分
これから小学生と関わる仕事を続けていくとしたら、交友関係のほとんどは子ども、保護者、先生。
交友関係にシナジーを生む趣味を考えたとき、究極な状態は「仕事=趣味」であること。
「仕事=趣味」に近ければ近いほど、趣味を頑張ることが仕事での成果に結びついて、仕事の交友関係が深まりやすくなる。
つまり仕事人間な状態。(下の図の①に相当)
しかしそれでは学校の子どもたちや先生にとって、私自身が「職場での私=私のすべて」という単純でつまらない存在になってしまう。
それは不本意なのである。

それに対して会社員時代では、最も尽力していた塾運営を隠し続けたこともあり、会社での交友関係が非常に薄っぺらいものになってしまった。
これは、小学校の子どもたちにフィルムカメラの話が通用しないのと同じ。
両者とも上の図の③のように、仕事と趣味の共通部分の無い悲しい状況。
そこで、仕事と趣味の間にいくらかの共通部分がある②のような状態を作っていきたい。
趣味の一部が仕事に活きてきて、その逆もありえるような状態。
従って、趣味の話は子どもたちにも通じるし、先生たちとも共有できたりする。
実際、ある趣味を学校でやってみせたときに、多くの子どもたちに喜んでもらったし、同僚の先生たちにも良い印象を与えることができた。
シナジーを生んだ趣味
その趣味とはお絵描き。
休み時間にある児童が絵を描いているときに、私も便乗して絵を描いた。
その子が私の描いた絵(アーニャ)を欲しがったのでプレゼントしたところ、他の子どもたちからもお絵描きの依頼が殺到した。
ほとんどの絵は写真に残せていないけど、女子児童からはトップ画(記録に残っている唯一のお絵描き)にあるようなコミック本の表紙を描けと言われることが多い。
男子児童からは、飛行機とか車とかガンダムとかの乗り物や、スピーカーマンとかいう気持ち悪いキャラクターの依頼が多い。
当然私にも描きたい絵と気が進まない絵があるのだけど、絵をプレゼントしたときの子どもたちの喜び具合は想像以上なので、毎日好き嫌いせず描いている。
お絵描きという趣味は授業中にも役に立つ。
どの教科でも、ものごとを説明したいときに黒板に絵を描いてあげると、子どもたちの理解が捗る。
実は板書をしても文字を読まない(読めない)子はかなり多い。そこに挿絵のようなものがあると、そういう児童も黒板に書いていあること(教えたいこと)をなんとか読み取ってくれる。
それ以前に、挿絵のある板書はなんだか絵本のようで、私も授業後良い気分になれるのだ。
というわけで、お絵描きは学校での仕事と親和性が高いことが分かった。
授業中でも休み時間でも、ちょっとした隙間時間にでもお絵描きをすることで、自然に児童とコミュニケーションできる他、フィルムカメラの修理のように家でじっくり作業する楽しみ方もできる。
今の私にとっては、特に誰かを喜ばすことのないカメラ修理に対して、お絵描きは私の人間性を添えて外部に発信できる数少ないツールと言える。
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退屈しない人生を共に
フィルムカメラの修理と撮影は、一人で指を動かし作業する趣味としてはとても優秀でしたが、私の交友関係を広げたり深くすることはありませんでした。(私の性格に依るところもある)
一方で、お絵描きは学校との組み合わせにおいて非常に親和性があり、児童とのコミュニケーションにシナジーを生みだすことがこの8カ月の間でよくわかりました。
児童の保護者や同僚の先生たちとはこれからも趣味の話をすることは少ないと思うけど、いざそうなったときはフィルムカメラよりかは絡みやすかろう。
なお、写した絵でも子どもたちは喜んでくれる。

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