こんばんは、慧です。
先日、我が弟の結婚式に出席してきました。
結婚式のような大多数が集まるイベントは苦手なので、ひたすらに考え事に耽っていました。
せっかくなので記録に残そうと思った次第です。
それにしても、ついこの間まで算数とか教えていたのに、あれから20年も経ってしまっていた。
自分の役割の無い空間
小さい頃から大勢の集まる空間が苦手で、小学校の授業すらも抜け出していました。
授業中に一人で学校探検をして先生に怒られた記憶があります。
学校探検というのは、何棟の何階に何室があるかを地図にしていくオリジナルの遊びです。
小学校を卒業してもそういう部分は変わらずに、文化祭や体育祭のときは近所のスーパーに逃げ、会社の飲み会の時は外の空気を吸いに1時間くらい退席します。
いずれも自分の役割が無い、もしくは分かっていないときにそんな行動をしてしまう。
もしかすると同じような気持ちになる人は少なくないはずだけど、私は大人の我慢力が人一倍足りないのだと思います。
きっと小学校のときに我慢力や協調性を身に付けられなかったせいかもしれない。
弟の結婚式でも、次の食事が運ばれてくるまでの空白の時間に、シャンパンの入ったグラスの底からプツプツと生まれる気泡をぼーっと眺めて自分の世界に閉じこもる。
大人になると小学校の時のように怒られないので気が楽ですが、その代わり変な目で見られてしまう。
スポンサーリンク
先祖との対話
我が家の親戚はほとんどが東北地方に住んでいて、結婚式に招待できたのは神奈川に住んでいる、祖母の姉妹一人だけ。
ワインをやたら飲みまくるそんな大叔母を見て、この記事を書こうと思いつきました。
テーマは「自分のルーツを知る」(のつもり)です。
由緒ある家柄だと何世代も前まで家系図が残っていて、自分の先祖が武士だったのか商人だったのか等が分かります。
一方、平凡な家だと親や祖父母から聞く言い伝えくらい。
私の先祖ではっきり分かっているのは150年前くらいまで。
たまたま先祖が頑張ったお陰で、大正時代にとある町に映画館や競馬場を建設したことが顔写真付きで役所のホームページに載っている。
オードリー・ヘップバーンが生まれる前から映画産業に関わっていたのは、映画好きの一人として誇りに感じます。
その他の血族には先生と呼ばれる人が多く、自分の教育への興味関心と何か関係があるのかもと思わされます。
先祖が何をしていたか、何を話していたかを追い求めてみると、自分に合う職業だとか、自分の今の考え方の根本のようなものとの繋がりが垣間見えてくる。
先祖の書いた文章が残っているなんて奇跡はまず無いけれど、先祖を探る旅はまるで先祖の日記を読んでいるかのようです。
自分の先祖が何かの仕事をし、子孫を残したおかげで今の自分がいると考えると、不思議と自分も何かを残そうという気持ちになる。
私の父方の祖父はシベリア抑留から運良く帰還でき、父が生まれてから数年で亡くなった。
シベリアでのダメージで体がぼろぼろだったそうだ。
それを考えると、平和な世界にいる今の自分はもっと何かできていて良いはずである、と落ち込むこともあるけれど元気にもなれる。
退屈しない人生を共に
まずは我が弟、結婚おめでとうございます。
弟が意外とスピーチがへたっぴで面白かったし、父親がかなり楽しんでいたので良かった。
もし熱中できる仕事や趣味、家庭が無い人は、ルーツ探しの旅がオススメかもしれない。
旅の中で色々な知識と経験が積み重ねられるし、自分の役割が見えてくるはず。
コメントを書く